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山田吉彦『海賊の掟』

山田吉彦

 2006 『海賊の掟』新潮新書

 

 海賊は男のロマン。マンガや映画の主題として頻繁に取り上げられては、さまざまに表象される海賊たち。本書はそうした海賊の実像について、現代の海賊、世界史上の海賊、日本の海賊に分けて紹介していく新潮新書の一冊です。

 著者は海洋問題の専門家ということもあり、断然面白いのは「現代に生きる海賊」と題された第一章、なかでも「マラッカ海峡とは」という節が白眉です(目次は本稿下部)。インドネシアシンガポール・マレーシアを一望のもとに収める海民の村を実際に訪れた著者によって、ごく普通の村人たちが海上の国境を自由に往来して漁をし、ときに水先案内人、ときに密貿易者、ときに海賊となって生きる姿が描き出されてゆきます。

 続く第二章では世界の海賊の歴史を概観したのち、キャプテン・キッドやドレークといった著名な海賊たちが列伝形式で紹介されています。また第三章では主に中世期の日本の海賊たちの様子が簡単に描かれてゆきます。

 

 さて、まず海賊についてまったく前提知識がないという人には、最初の一冊としておすすめできるでしょう。特に、マンガで海賊に興味を持った中学生などにはぜひ読ませてあげたい本だと思えました。

 ただしある程度の知識がある読者にとっては、読み物としてはそれなりに面白いものの、ちょっと煮え切らない一冊と感じるような気がします。著者は歴史家ではないとのことなので、後半で通り一遍に触れられている歴史上の海賊話は思い切って削り、第一章で述べられている現代の海賊に焦点を絞って深めた方が良い本になったんじゃないかなぁ……というお節介なアドバイスが抗いがたく口をつきそうになります(ついてるけど)。まあそれだと売れ行きが見込めないんだろうなという事情も拝察はするので、なんとも言い難いんですが。

 ともあれこの本はこの本として、著者の方にはフィールドワークに基づく本格的な研究書の方も期待したいところです。

 

目次

第一章 現代に生きる海賊

 1 海賊は実在する

 2 マラッカ海峡とは

第二章 七つの海を股にかけた男たち

 1 海賊の世界史

 2 最強海賊列伝

第三章 日本の海賊

 1 海を領地化した海上武装集団

 2 室町後期から戦国時代、覇権を握った海賊たち

 3 海賊の末裔

 4 今日に続く後日談

あとがき

 

新潮新書の全タイトルリストはこちらから

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海賊の歴史:カリブ海、地中海から、アジアの海まで (「知の再発見」双書)

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樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』

樋口毅宏

 2009 『さらば雑司ヶ谷新潮文庫

 パラレルワールド(?)の雑司ヶ谷を舞台にした、青春バイオレンス・ファンタジー小説。2016年に引退宣言をした小説家、樋口毅宏のデビュー作にして、いまだにカルト的な根強い人気を誇る一作でもあります。私自身はけっこう前に入手していたのですが、このたびようやく目を通すことができました。

 

 本作の破天荒なストーリーを要約的に紹介することが意味のある作業かどうかは疑問であるものの、いきなり感想を言っても真意が伝わらないかと思いますので、ともあれ簡単にあらすじを:


 主人公は雑司ヶ谷の出身で、ある大宗教団体の跡取り息子にあたる太郎という名の若者。彼は一族を取り仕切る教祖の祖母に反発し、雑司ヶ谷を根城にする不良グループの一員としてやさぐれた生活を送っていた。
 ある日メンバーの一人で問題行動の多い芳一なる男が地元の幼女を中国に売りさばくという事件が起き、主人公はグループのリーダーであり幼馴染でもある京介の意向で中国へと捜索に赴くことになる。
 ところが太郎は中国で北京マフィアの大親分に捕まり、身も心も(ホモセクシュアルな意味で)従属させられてしまう。他方で捜索していた幼女は、けっきょく現地の富豪になぶり殺されていた。
 成果なく日本に帰った太郎は、グループが一連の事件の元凶であった芳一に乗っ取られ、京介もまた殺されてしまったことを知る。同時に祖母からは宗教団体の権威に泥を塗る謎の集中豪雨事件について解決することを依頼される。
 豪雨の謎を追いつつ、芳一たちと追いつ追われつの抗争を繰り広げる太郎。そこに北京マフィアの一団も乗り込んできて……

 

 という感じで、ストーリーだけ聞くと何が何やらのお話ではあります。そこに暴力やエロや友情やオカルトやギャグがぶち込まれ、読者はめくるめく雑司ヶ谷の世界に拉し去られるという仕掛けになっているわけです。作中にはかなり無理のある設定(悪と混沌の北京イメージとか、そもそも宗教と暴力渦巻く雑司ヶ谷とか)も多いにもかかわらず、勢いで読ませ切ってしまう力量は驚嘆に値します。極めて露悪的なので好みはだいぶ分かれるかと思いますが、近年まれにみるパワフルな小説作品でした。
 そしてこの作品の神髄は、著者自ら述べている通り、タランティーノを思わせる引用と暴力(もしくは引用の暴力)に満ち溢れたその文体にあります。個人的には、現存する町に上書きされた架空の世界に現代サブカルのさまざまなモチーフがちりばめられた、裏村上春樹とでも表現すべき一作かと思います。
 それでいろいろ読者に元ネタを想像させておきながら、巻末には自らパロディ元の作品や作家を一覧にしていて、作者の露悪趣味をうかがわせる一端なのですが、これがまた面白い。この文章の末尾にそのページを引用して貼り付けておきますので、関心があれば眺めてみてください。

 

 最後に蛇足。本書の下世話かつ陰謀論的かつ超人主義的なところ、私はどこか『実話ナックルズ』っぽいなと思いながら読んでいたのですが、調べたら著者は『BUBKA』の編集者をやっていたらしいです。なるほどねえ。
 

 

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[p242より引用] 

 

 

さらば雑司ヶ谷 (新潮文庫)

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BUBKA (ブブカ) 2018年11月号

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実話ナックルズ 2018年 09 月号

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『セッション』:情熱過多な指導者と新人ドラマーの熱い魂の交流、と思ったのだが……

 

『セッション』

 2014年に発表されたアメリカの音楽/ヒューマンドラマ映画。監督・脚本は2016年に『ラ・ラ・ランド』でその名を世に知らしめたデミアン・チャゼルです。第87回アカデミー賞では5部門にノミネートされ、J・K・シモンズ助演男優賞を含めた3部門での受賞を果たしています。

あらすじ

 偉大なジャズ・ドラマーになることを夢見て、米国随一の音楽学校シェイファー音楽学院に入学した主人公のニューマン。その学校には高名なジャズマンにして、大学バンドの指揮を取るフレッチャーという有名教授がいた。

 ニューマンが学内でドラムを練習しているとき、たまたま通りかかったフレッチャーが彼を目に留め、彼はフレッチャーのバンドに招かれることになる。だが、フレッチャーの指導は度を越したスパルタ式であり、罵声や暴力は当たり前。ニューマンもメンバーの面前で何度も屈辱を味あわされる。

 それでもニューマンは情熱と練習量でその指導を乗り越え、なんとかバンドの正ドラマーの地位を獲得する。しかし公演の当日、ニューマンは事故により開演時刻に遅れてしまいメンバーから外される。逆上したニューマンはフレッチャーに食って掛かり、暴力行為として学院を放校されてしまう。他方でフレッチャーも過度の指導によって団員が自殺してしまい、学校から追放される。

 それからしばらくの時間がたち、ニューマンはカフェのバイト帰りに目にしたジャズバーの看板でフレッチャーが客演することを知って思わずその店に入る。すると久しぶりに再会したフレッチャーは、バンドのドラマーを探しているとニューマンに持ち掛ける。そして……という話。

 

感想

 スパルタ教師だが音楽への情熱は本物で実は学生思いという人物像は、好みは分かれるだろうし、いまなら即アカハラでクビになる(実際映画でもそうなった)とは思うが、ネガティブな衝動をばねにしてここまでやってきた自分としては実はけっこう共感できるのである。やはりある程度他人から厳しいことを言われないと自分の限界を超えることはできないだろうし、世界トップクラスを目指すともなればなおさらだろう。

 本作はそんな音楽家(の卵)たちの鬼気迫る生き方を、独特の見上げるようなカメラワークで鮮やかに映し出した佳作である。主演の二人はもとより、セリフすらないバンドのメンバーたちのいかにも音大にいそう感を醸し出したキャラ立ちも、全体的に異常な雰囲気を当たり前として呼吸している音楽家の世界という状況をよく表現していると思う。

 

 

ここからネタバレ

 

 

 と思ったのだけど、最後はあかんやろフレッチャー。自分の恨みを晴らすためにわざと違う曲を教えてステージで恥をかかせるって、「バンドとしての演奏が第一」でも、「教え子を成長させたい」でもない、単なる私怨のクズ野郎やんけ。言ってることとやってることが全然違うじゃん。強いて好意的に解釈するなら、学院をクビになって変わってしまったということなのかもしれんけど、その前に楽しそうにジャズバーでピアノ弾いてたのは何だったんだ。

 一方で指揮者の指示を全く聞かずひたすらドラムソロを叩き続ける主人公もどうなのよ 、ほかのメンバーも観客もドン引きじゃないですか。まあ確かに最後は二人だけわかり合ったのかもしれないけど、なんかいろいろ大切なものを置き去りにしてしまった結末のような気がする。

 最後の20分が評価されているらしいけど、個人的には最後の20分はなくてもいいんじゃないかと思いました。

 

正直言ってなんでこんなに評価されてるのかよくわからんかった:☆☆★★★

 

 

『セッション』

監督:デミアン・チャゼル

公開:2014年

主演:マイルズ・テラー

 

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安武秀岳『新書アメリカ合衆国史① 大陸国家の夢』

安武秀岳

 1988『新書アメリカ合衆国史① 大陸国家の夢』講談社現代新書(929)

 

 講談社現代新書から三巻本で出ている「新書アメリカ合衆国史」の第一巻です。本巻では新大陸への植民から南北戦争終結までが、創建期アメリカにおける政治経済の展開およびグローバル世界の動向と絡めつつ述べられています。

 なにぶん私にとってアメリカ史は専門外なので、コメントをするような知見もなく、純粋に勉強になるなあと思いつつ読んでおりました。文章は少々硬いですが、歴史上のエピソードなども織り交ぜられて楽しく読めるようになっており、初学者でも十分読み通せるように配慮された作りになっています。

 

 なお本書の観点はあとがきで明確に述べられていましたので、少し引用します。

この巻では、何よりも、独立革命から南北戦争までの時代を一つの連続した歴史過程として描くよう試みた。これまで多くのアメリカ史叙述では、独立革命南北戦争という二つの大事件にあまりにも多くの関心が払われてきた。……その結果この両事件の間の十九世紀前半期の歴史が、独立戦争のエピローグとして位置づけられたり……することになりがちであった。筆者はこのような傾向に物足りなさを感じてきた。(205)

 そう述べたうえで筆者は、しかしながらこの時期はアメリカがいわゆる「近代化」を成し遂げた革命的変化の時代であったことを指摘します。かくして本書は、

この十九世紀前半の革命的変化に視点を据えて、独立革命南北戦争を統一的に見通すという筆者の日頃の問題関心の産物(206)

として記述されたということが明かされるわけです。私は頭から読んでしまったのですが、先にこの問題関心を共有しておけばより理解が深まったかと、少々残念に思います。これから読む人は、あとがきから先に目を通すのがおすすめかもしれません。

 

 それと1988年の初版と少し古い点は否めませんので、このあとアメリカ史研究がどのように進んだのか、確認してみたい気持ちはあります。ともあれ、高校の教科書以外で明示的にアメリカ史を読んだのは初めてでしたので、個人的には新鮮な読書体験でした。二巻も手に取ってみようと思います。

 

目次

はじめに

第一章 植民地建設

第二章 アメリカ独立革命

第三章 世界革命の中の国家建設

第四章 大陸国家の建設と工業化

第五章 アメリカ社会の形成

第六章 南北戦争奴隷解放 

あとがき

 

講談社現代新書の全タイトルリストはこちらから

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赤瀬川源平・東海林さだお・奥本大三郎 『うまいもの・まずいもの』

赤瀬川源平東海林さだお奥本大三郎

 2006 『うまいもの・まずいもの』 中央公論新社(中公文庫Biblio)

 赤瀬川源平(1937年生まれ・美術家)、東海林さだお(1937年生まれ・漫画家)・奥本大三郎(1944年生まれ・仏文学者)という、いわゆる「焼け跡世代」に属する三人組が繰り広げる食べ物鼎談三連発。1994年にいまはなきメタローグから刊行されたものを文庫化したもので、文庫化に際しては本文末に示した目次の通り、鼎談の内容を踏まえた4本のエッセイが追加収録されています。また鼎談部分は三つに分かれていますが、別な日に語られたというだけで特に連続性はなく、といって話題にもさほど明確な違いはないようです。

 

 いちおうテーマは食べ物となっているものの、本当なんだか思いこみなんだかわからない話はあっちに行ったりこっちに行ったり。戦中戦後の思い出話やら、趣味の話やら、今の目から見るとかなりセクハラまがいのことも平気で言っていて、酔っぱらった年寄りのヨタ話を聞かされている気分になりました。ただ非常に読みやすいので、このノリが大丈夫な人であれば楽しい時間ふさぎにはなるのではと思います。

 それと面白かったのは、この世代の人々にとっては愛憎入り混じりつつも「日本」という枠組みが確固とした拠り所になっているということ。「納豆は外国人の、日本に対する一種の忠誠度テストだね」(P64・東海林)とか、「日本人の場合は、……(自文化に)妙なコンプレックスがあるのかもしれない」(P123・奥本)といったように、現在のわれわれであれば「そもそも『日本』ってなんですか」と問い返しそうなところで、その枠組みに無邪気と言っていいような信頼を寄せている。90年代までは良くも悪くも日本なるものが知識人層にまで前提として共有されていたというのは、個人的にはなかなかの発見でありました。

  

 そして「メタローグ」という名前を見てピンときた方もいるかと思いますが、本書の仕掛け人は何を隠そうかの安原顯なんです。鼎談中では自己主張していないものの、「編者から、ひと言」という3ページの文章を1994年の段階で本書に寄せていて、正直言ってここが一番面白かった。ちょっと引用します。

 南京虐殺や朝鮮慰安婦に対して謝る暇があったら、日本国はまず、六十万人のシベリア抑留者(内六万人は餓死!)、中国残留孤児をはじめわれわれ国民のすべてに詫びるべきではないのかと、敗戦直後のひもじい時代を思い出すと、思わずむかつき、怒鳴りたくなってくる。

 なんとなく本書の破天荒さととりとめのなさ、そして日本というものに対するどこか捩じれたこだわりの一端がわかったような気がします。

 

 とりわけてお勧めする本ではありませんが、時代の雰囲気に興味があればぜひ。

 

目次

うまいもの・まずいもの

食の博物誌

日本を公告する

編者から、ひと言

中公文庫版特別付録 世界のうまいもの・まずいもの

イタリアは「うまい」も「まずい」も南北差あり タカコ・半沢・メロジー

やっぱりイギリスはまずかった? 甲斐美都里

フランスの味覚は背徳の官能に洗練された 伊藤文

番外編 「京都人」が感じる「東京のまずいもの」 甲斐美都里

 

『シン・ゴジラ』:日本的な悲哀と希望に溢れた名作

  2016年に公開されたゴジラ映画の最新作です。大まかなストーリーとしては従来のものと同様に、東京湾沖に現れた謎の巨大生物が日本に上陸して破壊の限りを尽くし、主人公たちが自衛隊や米軍も巻き込んで撃退するという流れ。とはいえ過去の作品とは別な時間線上にある設定となっているようで、地上に初めて現れたその怪物がゴジラと命名されるシーンなども含まれています。

 

 本作の特色は、昔ながらの怪獣ものを政治ドラマとして描きだしているところ。主人公は対策本部を任された若手政治家やエリート官僚に設定され、現代日本でリアルな肩書を持って働く人々として登場します。そして、個々人としては極めて優秀で仕事に強い責任感を持つものの大局観に欠ける政治家や上級官僚たち、一つ一つ会議と承認を経なければ何も実行できない文書主義の官僚機構、対米従属と国際社会の圧力といった、戦後の日本に刻み込まれた制度のなかで苦闘する主人公たちの姿が映し出されてゆくことになります。

 このような個に優越する制度というテーマは、本作のなかで繰り返し提示されます。たとえば、自衛隊が出動していても承認なしでは攻撃できず、街や人々が破壊されてゆくのをただ眺めるだけという場面は、設備があっても臨機応変に動かせない日本的な悲哀を見事に象徴しています。また毎回少し迷った末に部下の提言をそのまま受け入れる総理大臣の姿からは、大統領が自らテロリストを殺戮しまくる『エアフォース・ワン』などと比較したとき、少なくとも一般的に観念されているリーダーの行為主体性としては途轍もない違いがあることに気づくはずです(もちろん、どちらが良いという話ではありません)。本作は現実の東京をゴジラ(に類する想定外の災害)が襲った際に、どのように事態が進行してゆくかを問う思考実験ともなっているわけです。

 とはいえ本作は決して絶望的な展望を示すのでも、必ずしも日本式の制度を全面否定するわけでもありません。主人公たちは権力の空白を嫌う官僚制度や、縦割りレベルでは極めて統制の取れた組織を逆手に取って、ゴジラという想定外の危機に対処してゆくのです。そして最終的には各国から部分的に力を借りながら、すでに現れてしまったゴジラと共存する道を模索することになるわけです。

 

***

 

 さすが大作映画と言うべきか、ディテールへの並々ならぬこだわりは大きな見どころになっています。関東民なら道の名前まで特定できる東京の街並みが無残に破壊されてゆく一方で、いつもの通勤電車が抵抗の武器になるところなどは胸が熱くなりますし、怪物が現れたにもかかわらず堅苦しい専門用語を用いながら細かな法令解釈の議論を戦わせる主人公たちの姿には、勤め人であれば妙な現実感を抱くことでしょう。(元システム屋の私なら、ゴジラが現れたときまずデータセンターの位置とUPSを確認するような気がします)。また自衛隊の全面協力を受けているようで、後方支援も含めたさまざまな兵器や兵員が縦横に運用される描写からは、本当にゴジラが出たらきっとこう戦うんだろうなというリアリティを感じさせます。

 そしてこの映画のなによりも良いところは、一人も悪人がいないこと。立場は違えども全員が職務に忠実で、結果的に裏目に出ることがあっても、事態を打開して日本を良くしたいという強い意思を持って行動する人々として描かれています。ふるまいに対して「日本的な」という形容詞をつけることは本質主義的であまり好きではないのですけれど、本作は冒頭の官僚機構の悲哀と表裏する形において日本的な勤勉さに希望を見出しており、安易に外来の解決策を受け入れるのではない結末とも相俟って、没落する日本に生きるわれわれに対して極めてポジティブなメッセージを発しています。 

 本作は日々懸命に働くわれわれのような労働者にも、ミリタリーマニアの若者にも、怪獣好きの子供にも訴えかける、普遍的な名作だと思います。個人的にはもう一度、子供ができたら一緒に観たい映画です。野暮なんで敢えて言いませんでしたが、本作のゴジラは明らかに原発のメタファーで、皮肉られていたのは東日本大震災時の政府対応ですよね。私に子供ができて映画を観られるほど大きくなるころには、本作で仄めかされていた希望が現実のものとなっていることを願いつつ……

 

良い映画でした:☆☆☆☆☆

 

 

シン・ゴジラ

総監督:庵野秀明

監督:樋口真嗣

公開:2016年

主演:長谷川博己石原さとみほか

 

Amazon Prime Videoに入れば『シン・ゴジラ』を含む沢山の映画が見放題!

『湘南爆走族』は今でこそ楽しめるヤンキー映画である

 『湘南爆走族』といえば、『荒くれKNIGHT』などで有名な吉田聡のデビュー作として知られる暴走族漫画。1982年から1987年まで『少年KING』誌で連載されていた作品です。

 本作はそれを1987年に東映が実写化したもの。ストーリーは主人公の江口洋助(江口洋介と一文字違い!)率いる5人だけの走り屋チーム「湘南爆走族」が、地元のライバルである「地獄の軍団」と共闘して、縄張りを広げる大集団「横浜御伽」と抗争するといった話。

 主人公の江口洋介は映画初出演、準主演の織田裕二清水美砂は芸能界デビュー、若かりしころの竹内力杉本彩が脇を固めるという、いまとなってはなんとも貴重な競演も見どころであります。

 

  正直に言って演技は下手だしカメラワークも荒いしで、いかにも昭和の娯楽映画といった感じのつくりではあるんですが、 むしろ現在の目から見るとそうしたたどたどしさこそが発展途上で元気のあった昭和のイメージを増幅させてくれるような気がします。

 原作にあった設定(主人公が手芸部長 etc.)や一昔前のギャグも映像のなかで生かされていて、もとを知っていても知らなくても楽しめる作りになっている点も高評価です。

 

 いまや絶滅危惧種となってしまった暴走族もかつてはこれだけの繁栄を誇っていたのだと思うと、いまのうちに捕獲してスミソニアン博物館に送らなくてはという使命感に駆られますね。リョコウバトの悲劇に思いを馳せながら。

 

どうしよう、星付けるかな

☆☆☆★★

 

湘南爆走族

監督:山田大樹監督

公開:1987年

主演:江口洋介織田裕二

 

Amazon Prime Videoに入ればこの映画も見放題。